ちょっと、年齢の話をしていて思うこと。
年下は好きです。面倒を見るのは好きなんだ。
年上も好きです。面倒を見て貰えるととても嬉しい。
ただ、とても年下だと、話が合わないと思う。
私も年を取って、情熱がかき消えている。
ものすごく、心は穏やかで、不安定。
静かに物事を見れるようになったんじゃないかな。
だから、逆に若い子に着いていけない。
熱狂的に何かを支持するのは、もう疲れた。
流行について行かなきゃいけないと、努力するのは、もう疲れた。
それをしても、自分にメリットが有る訳じゃない。
そして、考え方の相違。
けっこう「どうでもいい」が信条なロボット人間の自分にとって見れば、あんまり気にしたことが無かった。
でも、それは自分の周りで共通の認識があったから。
ネットにいると思うのは、ちょっと、つらいなって感じることが多いこと。
ネトゲでも、人につきまとわれるのは、辛かった。
別に、話が楽しければ良い。
プレイスキルだって、上手でも下手でも、関係ない。
でも、プレイスキルが上手なのを見せつけられて、それで褒め続けるのはつらい。暗に「あんたが下手なんだよ」って言われ続けるのは辛い。
嘘を吐かれるのも辛い。
それが、性別を偽る、といった些細な物や、優しい嘘なら、辛いとは思わない。
でも、楽しみのためだけに吐かれるのは辛い。
信じていた自分がバカみたいで、裏切られた気分になる。
嘘にあたるかも知れないけど、約束を破られるのは辛い。
その人がルールを決めたのなら、その人が何よりもルールを守らなければならないのでは無いか。
守るためとは言え、約束を違えてはいけないような気がする。
違えてしまった理由が、オフラインのことや、どうしようもない理由が有れば仕方ない。
でも、自分は嫌だな。楽しむためであっても、嫌だ。
ルールはルール。
それを守ってこそ、楽しめると思う。
顔が見えない分、土佐日記のように、異なる性別になりきる事が容易で、楽しめるのがネット。
でも、人は性別で、その人がどんな人なのか、判断する訳じゃない。
「心」で判断するんだと思う。
顔が見えないなら、尚更。(臭い台詞だけども)
だからこそ、誠実であって欲しいなと思う。
自分が誠実であるかどうか、なんて、自信は無いんだ。
こんな偉そうな事を書いているけど、自信は無い。
でも、チャットでもBBSでもメールでもweb拍手でも。
相手のことを考えて、言葉を選んで、でも、自分の心に嘘を吐かないよう、発言をしているつもりだ。
きっと、他の人も、そうだとは思う。
そこで、誰かが傷ついて、誰かが悲しむのは、もう感受性の違いとしか言いようが無いんだよね。
悲しいかな。
……もっと、繊細な、敏感な子が、そしてそういう知り合いを持つ子が増えてくれれば、何か変わるのだろうか。
なんだろうな、このもやもや。
言葉に表せないから、発散もできやしない。
言葉に表せたら、リアルの日記に書くのにな。
上手く、表せないから、こうして此処に書いて、まとめてる。
多分、上手く表せても、リアルの日記には書けない。
「しねばいいのに」って単語が、いつも過ぎる。
誰かに使うんじゃなくて、自分に使う。
本当は、こんな事、リアルでは言えない。
親が悲しむから言えない。
ここに書くのだって、見つけた人が悲しむから書けない。
でも、時折思う。
「自分が居なくなれば良いのに」
自分が居なくなっても、世界の動きは変わらないし、殆どの人にとっては、過去のこととして消えていく。
親であっても友人であっても。悲しくてもその悲しみを乗り越えて生きるのだから、世界にとって不都合なことにはならない。
だから、人に迷惑を掛ける自分など、居なくなればいいのに、と思う。
しねばいいのに。
最大級の自虐の言葉だとは思う。
でも、自虐したくなるよ。
生きていてごめん、って言いたくなるときもある。
夜だから、冬だからってのも関係する時もある。
でも、やっぱり何処かそう思ってる。
自分は、躁と鬱の落差が激しいから、意識していないときは意識しないけど、意識するときはそれしか頭にない。
自分を愛してあげないといけないと思いつつ、その愛し方が変な方向に行って、上手く愛せていないのかな。
自分を、愛せたらいいのにな。
大嫌いだけど、大事な自分。
今は、大好きだなんて言えない。
何時か、大好きだって言えるように、頑張らないとな。
何時も、お礼をしたいと思うのに、お礼が出来ない。
しねばいいと思っても、生きながらえるのは、どうしてだろう。
そう考えたときに思い浮かぶのは、恩返しの言葉。
産んでくれてありがとう。
育ててくれてありがとう。
友達になってくれてありがとう。
兄弟として、家族として、従兄弟としてかわいがってくれてありがとう。
お姉ちゃん、先生って慕ってくれてありがとう。
励ましてくれてありがとう。
支えになってくれてありがとう。
色んな人に支えられて生きている。
だから、一生をかけて、それを返していかないといけないし、返したいと思う。
返せるかは分からないけど、やらなきゃいけないんだ。
今は「やってみなくちゃわからねえ」の台詞が、心に染みる。
これは、多分消さない。
消したって、書いたという事実、過去が変わる訳じゃない。
ただ、この書いた記事を見ることが出来る人が減るだけ。
ここに書いたのは、自分の思うこと。
消したって、その考えが消えることはない。
なら、消さなくて良いと思う。
これが、私の考えなのだから。
あまり、こういう考えを、普段から出さない自分は、こういう場所ぐらい出して良いと、勝手に思う。
語り合える友達や親には、出している。
けど、オフライン限定。
ネットで知り合った人には、語れない。
だって、話の呼吸が分からない。
オフラインなら、相手の目と、口と、空気を読んで、語るタイミングを選ぶ。相手が語りたいなら、此方が待つし、此方が語りたいときは相手が待つ。
でも、ネットだと、そうは行かない。
チャットなどで語るには、タイミングをはかりにくい。
BBSやメールで会話するには、重い。
そして、何より、相手が真剣に聞いてくれているのかが分からない。
電話だってそうだけど、電話はまだ、声のトーンで何となく分かる。
でも、文字だけ、電気信号だけの世界では、本気が分からない。
だから、会話するときにこんな話題は出せない。
そうして、語るのを止める自分がいる。
この場所を見て、気が合わないと思えば、それで関係を止めてしまえばいい。
少しでも賛同できる場所があるなら、様子を見れば良い。
だから、こういう、愚痴ににた場所は残しておく。
あと、自分を反省するのにもぴったりだと思う。
人の振りみて我が振り直せ。
あとで読み直せば、きっと、人の振りを直せると思う。
うん、消さない理由はもう一つ。
人はポジティブだけじゃない。
ネガティブもあって当然。
だから、ネガティブな面を出しても当然だと思う。
そっちの方が、人間らしい。
ただ、ポジティブ思考だと、周りの人に元気を与えられる。
だから、ポジティブであろうと思う。
でも、無理してポジティブばっかりだと、きっと爆発する。
だから、たまに、ネガティブを出したい。
オフラインのネガティブは、極力ここには持ち込まない。
ポジティブは持ち込むけど、ネガティブは持ち込んだって、解決にならない。
人間だから、絶対守れる事じゃないけれど。
よっぽどの事じゃない限り、持ち込まない。人に言えないとか。
ネットのネガティブは、ここでしか書けない。
それこそ、オフラインのことをネットに持ち込まないようにするのと同じで、ネットのことをオフラインに持ち込もうとは思わない。
それでも、やっぱりネガティブになれば、オフラインに影響するのは必至。
ネットのことはネットのことで。
だから、ネットでのネガティブは、背負えきれなくなったときに、このような場所に書いてしまっても良いと思うし、消す必要は無いと思う。
逆に、自分は、過去を消してしまって、無かったことにしたくない。
ネガティブな事を書いて、それを見せてしまったという反省を、持ち続けるべきだと思うし、ネガティブに思ったことを忘れたくない。
ネガティブなこともあって、ポジティブなこともあるから。
そうして、人の絆は作り上げていくから。
それに、きっと、ここに書いたことは、一度は考えたことが有るんじゃないかって思う。
自分は、結局凡人だから。
考えることに非凡な物はないから。
消す消さない、って言ってるけど、これは公開・非公開にも値するかなと思う。
非公開にするくらいなら、最初から書くなと言いたいし、読む人に、非公開という秘密を持ちたくない。
と、いいつつ、自分は非公開を作ったら、非公開にしたことを忘れてしまいそうなだけなんだがな。
なんて、ツラツラと書いてみた。
PBBBCも楽しいがPBCのが楽しいんだよな。自分はそっちから入った方だし。ちょっとした会話でいいし。既に下地はあるし。
ただ、なんかもう、疲れた。
女子ばっかりの世界に疲れた。
中の人の性別を特に気にしたわけじゃないが、やっぱり男女の違いってあると思う。
ネットだと、男女関わらずさっぱりした人と付き合いたい。
もう、こりごりだ。狭い世界は嫌だ。
連れションじゃないが、群れるのが疲れた。
なりきって自分を偽るのに疲れた。
今は、ゲームで自分をそのまま出したい。自分という存在を、知って貰いたい。
なんて、子どものような自己主張だと、笑いたくなる。
まとめとしては、自分は結局まだ子どもなんだよな。って事。
最後まで読んでくれた人はありがとう。
徒然に書いて、ごめん。読みにくいと思う。
こんな自分でごめん。